海辺と珈琲ことり

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おとなになれば

いつもお店の前を通学路にしている小学生の男子がいるのだけれどときどきではあ

るのだが、学校の行き帰りにあいさつなどをかわすことがある。

 

「おはよう」「おはよう」。

「ただいま」「おかえり」。

 

交わすあいさつの内容もそれくらなもの。

 

テレビドラマなどならばもう少しのんびりと微笑ましい会話なりがなされるのかも

しれないが、現実はそんなようなファンタジーではなく、けっこう味気ない。

 

しかしながらついこないだ、彼がいつものあいさいつのあとで、「多田羅さん、疲

れんやろ?」と言ってきた。

 

 

、、、、、どゆこと?

 

 

一瞬なんのことかわからなかったが、どうやら彼曰く、一日中お店の中だけにいて、

く立ったり座ったりしているだけで疲れる仕事ではないよね?というようなことらし

い。

 

そのことがわかって、小学生相手におとなげなく少しイラッとする。

 

 

「疲れるよ。学校もつかれるやろ?それと同じで。」

 

 

切り返すぼく。

 

 

 

しかしながらよくよく考えると、確かに子どもにはそう見えるのかもな、とも思う。

 

 

自分がいまもし彼と同じ小学生で、近所に自分のような大人がいたらどんなふうに思う

だろう。

 

 

背広とネクタイでいわゆる会社っぽいところにいくわけでも、作業着のような格好で汗

を流しているわけでもない、ともすれば日がな一日遊んでいるようにみえる大人。

 

きっとかなり怪しげに思うことだろう、子どものぼくも。

 

 

でも次の瞬間こうも思う。

 

 

そういう怪しげな大人が身近にひとりくらいいてもいいのかも、と。

 

 

そういえば、ぼくが子どもの頃にもそういう大人が何人かいた。

 

 

遠い記憶の底に澱(おり)のように沈んで、いつの間にか忘れてしまっていた人たちのこと

をふと思い出す。

 

 

その人たちは決まって大人なのか子どもなのかお年寄りなのか、わからなかった。

 

 

そしてそれが子どもごころに少し怖かった。

 

 

ただ、いつもなんとなく笑っていたようなイメージのする大人だったように思う。

 

 

笑っていたようだったのに、怖かったってなんとなく矛盾するようだけど、そんな印象だっ

たのだ。

 

 

そしていま、くだんの小学生の彼にとってのそんな印象の大人が僕なのかもしれないなと思

う。